外国人労働者とのコミュニケーション

先日、ある企業の技能実習生に対する安全教育に同席しました。
技能実習生は日本語を300時間程度学んだだけなので、基本的な日本語しか理解できません。それでも、今後現場に入ると日本語でコミュニケーションを取らなければならないとの理由から、日本語で講義を行うこととなりました。

日本人講師の方は、一生懸命易しい日本語で話していました。そして、ときどき「分かるかな」と繰り返し聞きながら、講義を行っていらっしゃいました。
しかし、講師の方の熱心さとは相反し、残念ながら技能実習生にはほとんど講義内容が伝わっていませんでした。もちろん技能実習生からの質問など全くなく、コミュニケーションも成立していませんでした。

原因は二つあります。

一つ目は、講師の方の日本語が難しく、日本人を相手にするときと同じ話し方をしていたことです。簡単に話すことの訓練していない人が、急に平易で簡潔な日本語を話そうと試みても無理があります。かく言う私は日本語教師ですが、平易な日本語を話すために訓練と経験を重ね、現在学習者に接しています。簡単に話す、とは決して簡単なことではありません。

二つ目は、「分かるかな」と聞くことです。

外国人を雇用する企業のご担当者の方は、よくこんなことを仰います。

「外国人は分かっていないのに、分かっているという」

外国人社員が「分かる」と言う理由は様々です。

・プライド
・繰り返し言われて、何となく分かったような気がする
・半分は分かっている=「分かる」
(完璧を求める日本人との「分かる」程度に対する考え方の相違)
・あまりに熱心に話しているので「分からない」と言えない(メンツを立てる)

理由は一つだけではなく、上述の要素がそれぞれ少しずつ混ざり、結果外国人社員は「分かったふり」をしてしまします。
今回の技能実習生も、最後の理由「相手の熱心さに配慮」したがゆえに、「分かりません」と言えなくなっていました。

日本社会において、この配慮はとても大切なことです。しかし、本来コミュニケーションを円滑にするための配慮がこのようにコミュニケーションの不成立を招き、それにより誤解を生み、更には外国人への評価が下がってしまうことは、非常に残念なことです。

人と人とのコミュニケーションには様々な配慮が必要です。話し方、言葉の選び方、話す場所、時間などなど。異文化コミュニケーションであれば、なおさらです。双方の配慮が必要です。

「配慮」に対する考え方は国によって違います。言葉を学ぶことはもちろん大切ですが、言葉の根幹を成す文化(価値観、コミュニケーション手段等)を知ることも同様に大切だと改めて感じました。